金曜の深夜、ワシントンDC近郊のあるビリヤード場のガラス扉をぶち割って侵入した者がいました。
かなりでかい音がしただろうに、泥棒にしちゃあチト派手すぎる登場だが...?
なんとそれはお巡りさんだったんです。
ことの次第はというと、近所のアパートの一室で冷蔵庫が火を噴き、火事になった。
火はあっという間に広がり、アパートの住人30人ほどが焼け出された。
深夜、気温2~3℃というなかで行き場を失った人たち。
現場にかけつけた警察官、事態を把握するや、なんとか住民の安全確保をと考えたが、収容する場所がない。
近所を見渡すと、そこに一軒のビリヤード場が...
ここならスペースはじゅうぶん。 大人数がくつろげる設備もあるだろう。
ところがなにぶん深夜のこと、店を 「正規の手続きで」 借りる手段はなかった。
よし、ここは俺が責任をとる、ドアをぶち破れ! ガシャーン!
以上、短いニュースで知った話にちょいと心理描写を加えましたが、大筋こんなもんだったらしい。
いやはや豪快な警察だこと。
理屈のうえでは、店の損害はお金で解決できるが住民の安全はそうじゃないので、どっちを優先すべきかは明白。
でも、日本の警察がそれをやるだろうか? 私にはちょっと想像できない。
じゃあアメリカの警察のほうが立派なのかといえば、ちょっと想像の斜め上をいく話で心の準備ができていなかったので、どう評価していいのかわかりましぇーん。
直観的にはアメリカのお巡りさんの近くにいたいような気もするが...
皆さんどう思います?
ついでに、これは私の完全なる妄想ですが、翌朝になって事態を知ったビリヤード場の経営者がマスコミからマイクを向けられたら、多分こんなふうに言うでしょう。
深夜に困った人たちの役に立てたことを誇りに思うよ。 警察のやりかた? 何が大切かをよくわきまえた勇気ある判断だったと思う。 店には朝まで警官がいてガードしてくれたことだし、私としては文句はないよ(笑)
なんてね。 でもアメリカ人だとだいたいこんな感じになると思うし、私こういうの好きですよ。
さらに話が飛びますが、このニュースを見て思いだすのがアメリカ政府と日本政府の比較 (って飛びすぎ?)。
どっちが自国民を大切にしてくれるかという話。
世界各地で争乱が起きたとき、そこに暮らす日本人がアテにするのが日本大使館でなくてアメリカ大使館だというのは、在外邦人のあいだではけっこう知られています。
日本大使館に問い合わせてもさっぱり事態がつかめないが、アメリカ大使館に聞けばかなり正確な情報が得られる。
それだけじゃない。
事態が一気に悪化して国外脱出を急ぐとき、アメリカ大使館に駆け込んで救助を求める日本人もたくさんいるようです。
海兵隊ヘリコプターで救出される米市民 (2006年 レバノン危機) |
でもアメリカは、ジェット機でもヘリコプターでも戦艦でも、とっとと動員して助けに来てくれる。
日本人は友好国市民ですから、基本的には断られないと思います。 小さなヘリコに乗る順番とかでは差がつくかもしれないが。
でもそういうことじゃなくて、政府の意識としてどれくらい一所懸命に自国民を保護しようとしているのか、そこの差はけっこうあるような気がします。
まあ日本大使館というのはどこへ行ってもエラそうにしているだけで、いざというときに役立たずというのは、在外邦人ならけっこう知っていること。
ふだん何か問い合わせやお願いをしても、お前らひとりひとりの相手してる暇なんかないんだよ、こっちは外交という高級な仕事があるんでね、といわんばかりの応対を受けることが多い。
おいおい高級なお仕事はけっこうだけど、邦人保護ってのも業務に含まれてるはずじゃ...
と言いたくなるんだが、なにしろ外務官僚というのは官界でもピカイチにプライドが高く、エリート中のエリートを自任している方々なので、そこらの民間人に親身になってやるという思考が希薄らしい。
まあ大手商社の駐在員とかマスコミ特派員とかだったら相手にしてもらいやすいんだろうけど、そういう日本国内の後ろ盾のない人間なんて、 「なにやってんのこんな外国で? 日本じゃちゃんと暮らせなくて出てきたの?」 みたいな目で見られることが多いとか。
私はモロにそういう目にあったことはないけど、微妙な体験はしているし、知り合いからはトホホな話をよく聞かされたものです。
いやー、なんだかオチコボレ在外邦人の恨み節みたいになっちゃったなあ...
でも私個人は 「アメリカ大使館のほうが人間的」 という確信を持っていると、これははっきり言えます。
日本政府って何なんでしょうね?
国民と政府のあいだに距離がある感じかな。
日本には記憶にないくらい古くから 「お上」 というのが国民のアタマの上にあって、それはいろいろに形を変えて来はしたが、国民であるわれわれ自身とは別もののようにして存在している。
だから他人のような関係でしかない。
アメリカのような新しい国だと、何もないところに人があつまって 「よし、政府をつくろう」 となった記憶がはっきりと残っている。
政府はいきなりできたわけじゃない。
最初は、村レベルの小社会を円滑に運営するため、考え深い人物をリーダーに、強い男を保安官として選ぶところから始まった。
みんなで税金という名の会費を出し合って役場をつくり俺たちの町を運営していこう、そんなふうにしてできあがった 手づくりの行政組織 だった。
そういうものの総体が、市なり州なりの規模に発展し、さらにそれらが寄り集まって連邦政府ができた。
だからアメリカでは、最初の村々に住んでいた 「俺たち」 があくまで主人公なんだと思います。
政府は 「俺たちのもの」 というか 「俺たち自身」 である。 だから、窮地におちいった市民を全力で救うのは当然のこと。
ひるがえって日本はどうか。
国民も政府もおたがいに 「他人」 だと思っているふしがあり、両者の関係はシラっとしているように感じるのですが、私の思いすごしでしょうか。
(あーしかしですね、アメリカにもえらい難儀な側面があって、強大な軍備を維持するためか知らないが、アメリカ市民たるもの世界のどこに暮らしていても、一定額以上の収入があるとアメリカに所得税を納めなきゃならんという世界にもまれな法律があります。 滞在国にふつうに税金払っていても、二重に支払う義務があるんですよ。 仲間だったら払え! といってくるアメリカ政府の暑苦しさを思うと、日本のように適当に他人ぽい政府も悪くないなと...)
とりとめなくて恐縮。
皆さま、残りの週末を楽しくお過ごしください。
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