そういう疑問の答えを探すため浅学の私は本を読むのですが、面白い材料があったのでご紹介します。
面白い、というのはそこに私たち現代の日本人の幸と不幸のタネがころがっているような気がするからです。
お前も一人前になったなあとか、しっかり修行して一人前になりたいとか言いますが、じゃあその 「一人前」 ってのはどれくらいの能力をさすのか?
寿司の一人前じゃないですよ、労働力としての一人前。
むかしは、「これができたら一人前」 という基準がちゃんとあったという話です。
江戸時代の後期、白河藩(福島県)の文書に、男性の農民が一日にこなすべき労働量、つまり一人前の仕事量が記されています。
田荒起こし 6畝 (600㎡)
田ならし 1反 (1000㎡)
田植え 2畝 (200㎡)
田の草取り 6畝 (600㎡)
稲刈り 40束
以下は 「よなべ仕事」
ぞうり作り 2足
わらじ 3足
縄 100間 (180m)
これができるようになれば一人前。 幼いころから親を手伝いながら仕事を覚え、16~17歳ころ一人前になったそうです。
このことを藩が文書にした理由は知りませんが、たぶん 「これだけ働け」 という命令ではなく、「誰しもこの程度の労働力になることを目指しなさい」 という指導だったのではないでしょうか。
年貢を取り立てる藩にしてみれば、田んぼの面積が決まっている以上、農民の生産性を一定水準に保たないと予定の税収を確保できないという事情があります。
そこで、「これだけできたら一人前」 イコール 「これができなきゃ恥だよ」 というスタンダードを普及させることで、農民を誘導したんじゃないだろうか。
あるいは、「一人前以上」 に仕事ができることを誇るような雰囲気を作ることで、スタンダード以上の生産性を期待したのかもしれない。
ところで私は、小学生のころ先生がよく言っていた 「江戸時代は武士が百姓を搾取した暗黒時代」 という史観を信じていません。
むしろ幕府をはじめ各藩は民百姓の生産力を上げるため、農業技術や労働規範などについて (現代の農協のように) 熱心に教え込み、結果的に百姓の暮らしが向上するケースが多かったという説を支持しています。
なので、「農民を誘導した」 と言いましたが、それは虐める絞り取るという意味ではなく、きわめて合理的な経済活動としてそうしたという意味です。
一方、一人前という言葉は村のなかではどう機能していたでしょうか。
農村というのは、やれ道普請だ、やれ用水路の補修だと、村総出で行う共同作業がしょっちゅうありました。
一年をとおして100日もあるのが普通だったといいますから、3日とあけず共同作業ばかりしていた勘定になります。
これに参加するのは原則 「各戸から大人1名」 。 つまり一人前の労働力を出す必要がありました。
皆が一定レベルの労働力を提供しないと、作業量が膨大なだけにすごく不公平になってしまうからです。
こういう社会ではどんな気質が育つでしょうか。
まずは 「一人前」 を満たすかどうか、これが人間を評価する重大な尺度だったでしょう。
また一人前の人間とは、村総出で作業するとき妙な異を唱えて仕事を遅らせるような者ではなく、総意に従って黙々と働く者でなければならなかったでしょう。
農村社会では、肉体的にも精神的にも同質であることが強く求めらたと思います。
若者らしい革新気質に富んだ意見より、長老たちの前例主義がはるかに力を持っていた。
「指示は上の者がする、皆は黙って働け」 というのが村の調和と安定の秘訣だったと思います。
増してや、村によそ者が入ってきて調和を乱されるなどというのは最悪のできごとだったはずです。
時代は下り、現代の日本のカイシャも似たような意識で運営されていますよね。
無垢な人材を新卒で採り、わが社流の仕事のしかたを一から教え込み、仲間意識を持たせ、会社に忠誠を誓わせるかわりに面倒は一生見る。
一方で、他社の流儀で育ったやつは使いにくい。 「もっと〇〇では?」 なんて言われると、どう対処していいのかわからない。
やっぱり違う村から来たやつは異質だ。 「みんな同じ」 が気楽でいい ...
大きくて歴史のある会社ほどこんな気分のところが多いんじゃないでしょうか。
農村社会から抜け出ていない日本の企業社会。 ここではいろんな歪みが生まれています。
企業が 「新卒」 こだわるため、そこでつまづくとセカンドチャンスをつかみにくい。
入社するなり自分の運命を会社(村)に預けてしまい、自分の人生を真剣に開拓することを忘れてしまう。
「他の村」 から来た異質な人たちとの交流が苦手で、変革が怖い。
長老が従順な若者を支配する社内構造は、戦後の高度成長期にはぴったりだったが、日本経済全体が構造転換を迫られる大変革の時代に対応できない ...
いろいろありますけど、農村社会ではメリットだったものがデメリットになっている部分は多いと思います。
社会全体の息苦しさとか、働いても報われない感とか、将来に夢が持てないこととか、いろんなことの原因がここにあるのかもしれない。
アメリカのTVには、家を買う、売る、手入れするといった 「家番組」 ばかりを放送する専門チャンネルがあって、けっこう面白いので見ています。
まだ若い人たちが広々とした家でゆったり暮らすのを見るたび私は、
ニッポンジン、ナニ悪イコトシタカ?!
と叫ぶのが通例になっています。
そりゃアメリカが広いことは知ってますよ。 だから家の面積という点で比べてもしゃーない。
そういうことじゃなくて、省略して言いますけど彼らの生活スタイル全般を見ていると、なんでこの人たちはこんなに幸せそうに見えるのかと思ってしまうことが多いんです。
ある意味では世界からの尊敬も集めながら一所懸命に生きている日本人。
なのに幸せ感が薄いのはなぜか?
どうしたら幸せになれる?
アメリカの地で日本を知るための本を読みながら、そんなことを考えています。
「一人前」 という言葉の重みをかみしめながら。
(引用書籍: 宮本常一 「庶民の発見」 講談社学術文庫 値段を確実に上回る価値がある一冊です)
9/8のトレード結果です。
EUR/USD
200SMA: 下降
フェーズ: 上昇ユマ (売りNG)
損 益: なし
GBP/USD
200SMA: 上昇
フェーズ: 上昇ユマ
損 益: ▲30pip
「一人前」 というスタンダードは、農民にとってはわかりやすい概念でした。
なんでかというと、田畑を耕す、草を取る、収穫するといった農作業は特別なスキルを要求されず、親の手伝いをするうちに自然に身につき、人によってそれほど大きな差がつくものではなかったからです。
体力面では差がつきます。 膂力にまさる者は他者よりたくさん耕し、刈り取り、運ぶことができました。
しかしそうした差というのは、弱い者であっても勤勉に働くことであるていど克服することができましたから、「一人前」 という基準を満たすのはそう難しいことではなかったと思います。
こつこつと働いて一人前の仕事をすれば、どの田んぼでも同じような収穫をあげることができましたから、耕す田んぼの面積を別にすれば、農村では均質な暮らしを営むことができました。
漁村へ行くと話は変わります。
漁業というのは、櫓をこぐ、網をたぐるといったどちらかといえば体力勝負の面もありますが、漁獲高を決めるのは、なんといっても魚を見つける能力です。
潮の流れや風の向きを見ながら魚群を探し当てる。 漁夫の収入は、そのスキルに大きく左右されます。
もちろん誰しも幼いころから親兄弟を手伝いながら修業しますが、潮や風を見るスキルというのは最終的には記憶力とか勘とかいう個人の資質に大きく左右されます。
だからできる漁夫とできない漁夫の格差が生じます。
できる漁夫はその他の者を引率して漁に出て、沖合で数艘の船を指揮しながら網を引く。 そうしたリーダーシップに長けている者は、また大きな漁獲をあげることができる。
お金をもうけて大きな家にも住める。
つまり漁村というのは、農村のような 「誰でも一人前」 的な秩序とは無縁のリアルな実力主義が支配する世界だったのです。
ただし日本全体で見れば、人口の圧倒的多数は農民でしたから、私たちの社会が受け継いだ遺伝子は、農村カラ―が強いわけですね。
明治維新いらいとめどなく農村から都市へと労働力が流れ、世界的な工業国家を築いてきたというのに、根っこがあくまで農村だというのは、伝統というもののしぶとさを感じます。
どうでもいいことですが、あなたは農村スタイルと漁村スタイル、どっちが好きですか?
なんでかというと、田畑を耕す、草を取る、収穫するといった農作業は特別なスキルを要求されず、親の手伝いをするうちに自然に身につき、人によってそれほど大きな差がつくものではなかったからです。
体力面では差がつきます。 膂力にまさる者は他者よりたくさん耕し、刈り取り、運ぶことができました。
しかしそうした差というのは、弱い者であっても勤勉に働くことであるていど克服することができましたから、「一人前」 という基準を満たすのはそう難しいことではなかったと思います。
こつこつと働いて一人前の仕事をすれば、どの田んぼでも同じような収穫をあげることができましたから、耕す田んぼの面積を別にすれば、農村では均質な暮らしを営むことができました。
漁村へ行くと話は変わります。
漁業というのは、櫓をこぐ、網をたぐるといったどちらかといえば体力勝負の面もありますが、漁獲高を決めるのは、なんといっても魚を見つける能力です。
潮の流れや風の向きを見ながら魚群を探し当てる。 漁夫の収入は、そのスキルに大きく左右されます。
もちろん誰しも幼いころから親兄弟を手伝いながら修業しますが、潮や風を見るスキルというのは最終的には記憶力とか勘とかいう個人の資質に大きく左右されます。
だからできる漁夫とできない漁夫の格差が生じます。
できる漁夫はその他の者を引率して漁に出て、沖合で数艘の船を指揮しながら網を引く。 そうしたリーダーシップに長けている者は、また大きな漁獲をあげることができる。
お金をもうけて大きな家にも住める。
つまり漁村というのは、農村のような 「誰でも一人前」 的な秩序とは無縁のリアルな実力主義が支配する世界だったのです。
ただし日本全体で見れば、人口の圧倒的多数は農民でしたから、私たちの社会が受け継いだ遺伝子は、農村カラ―が強いわけですね。
明治維新いらいとめどなく農村から都市へと労働力が流れ、世界的な工業国家を築いてきたというのに、根っこがあくまで農村だというのは、伝統というもののしぶとさを感じます。
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