そこへ行く前に、私が年々気にするようになった 「日本人って何者?」 という話を少々 ...
先日、今の日本人の不幸はどこから来ているのかみたいなことを書きました。
私たちの社会に仕込まれた遺伝子が原因、みたいな話でした。
でも、日本の伝統を否定しているわけじゃありませんよ。 むしろ私たちは、頬ずりしたくなるような美しいものを先祖からたくさん引き継いでいると思ってます。
学校というものがなかった時代、子供たちの教育とは家庭でおこなうさまざまな躾 (しつけ) でした。
躾には、暮らしのなかの行儀作法をはじめ、家業の手伝いなど、大人になるためのすべての準備が含まれていました。
市井のいち研究者としてスタートし民俗学に偉大な足跡をのこした宮本常一は、「庶民の発見」 で、子供に仕事を手伝わせるにあたって重視されたことについてこう述べています。
こうした作業をするにあたって、気をつけなければならないことは、いやいやにしないことであった。 「所作(姿)のよさ」 が何よりたいせつだったのである。
「あの子可愛いや糸ひくときの、赤いたすきの所作のよさ」 などという民謡にみられるかいがいしさが、人をひきつけたものである。
所作(しょさ)のよさ、姿のよさというのは、たとえば日本舞踊の世界などで聞く言葉ですから、これはよくわかります。
しかし一般庶民の日常生活のなかに、仕事するならよい所作でという美学があったということは、私たちの財産だと思うのです。
私自身、幼いころを思い出すと、なにかの作業をするときは両親から 「やるならキチンとやりなさい」 とくりかえし言われたものです。
「キチンと」 にはいろんな意味がありましたね。
道具を持つときはしっかりと腰をすえ、正しい姿勢を保つ。 だらけた斜めの姿勢は駄目。
やらされているのではない、気持ちを入れてしっかり作業する。
というように多分に精神的な部分もありましたが、わかりやすく言えば
四角い部屋を丸く掃除するな、
文字通り四隅までくまなくきれいにして初めて仕事といえるのだと教わったと思います。
うるさくて煙たい親だったけど、そういう教えというのはなんとなく体に沁みこむもので、その後の私の生き方にけっこう影響したと思います。
良い意味も悪い意味もありますけどね。
でもまあ、あれがわが家の 「躾」 だったということでしょう。
こういう 「所作」 みたいなことは日本にいると別に意識もしませんが、海外に出ると途端に目につくようになるものですね。
アメリカでは、一部の例外を除けば、労働者の 「所作」 に美しさを感じることが少ない。
常に 「俺は気分が乗らないんだ」 と言わんばかりの、腰の入っていない姿勢。
物を 置く ことを決してせず、なんでも 投げる という粗雑な動作。
文字通り、四角い部屋を丸く掃除する。
オノマトベ (擬態語)で言うなら、ダラダラ、ドスンドスン、テレテレの動きですね。
給料もらってるから時間内は我慢して働くけどエネルギーなるべく節約するぞみたいな ...
そこは文化の違いなんだからしかたねえよと思いつつも、どこかでアメリカ人 (というか日本人以外の人たち) をバカにする気分があったんですね、私は。
で、このような無知な私を驚かせた清々しい体験の話です。
先日、高速道路のゲートで、料金4ドル45セントのところ5ドル札を窓の外でひらひらさせながら接近したところ、窓口の職員は、札を受け取るなりその手からお釣りの55セント、硬貨3枚をポトリと落として私に握らせてくれました。
つまり、接近する私を見ながら必要な釣り銭をあらかじめ手に握っておき、お金のやりとりを一動作で済ませたわけです。
そもそも私が5ドル札を見せながら接近したのは、日本だったらスムーズにお釣りを受け取れることが多かったので、それが癖になっているからです。
でもアメリカでその効果があったのは初めてだったので、かなりびっくりしました。
その職員、中年の女性だったのですが、一瞬の受け渡しに続いて 「気をつけて行ってね!」 とひとことかけてくる生き生きとした表情が印象的。
思い起こせば、手を伸ばしたり引っ込めたりというだけの動作だったが、どこか彼女はキビキビしていて気持ちよかった。
料金所の仕事というのは、ほんらい能率とは無関係だと思います。
窓口の職員は決められた勤務時間をそこで過ごせばいいわけで、一時間あたり何台さばこうが、能率よくさばくことで車列を短くしようが、誰にほめられるわけでもありません。
だから職員にとって、スムーズにお釣りを渡すという業務上の必要はない。
彼女がそれをやるのは、自分がそうしたいから、そうすることが好きだから、ということになります。
これこそが美学。
彼女はどんな 「躾」 を受けて育ったんだろう、どんな親だったんだろう ...
微笑ましい家庭の情景を想像しつつ、同時にアメリカ人舐めちゃいかんぜよと思いながら運転を続けたものです。
さて、美しい所作で仕事をする日本人、労働の美学をしっかりと持っている日本人がいるわけですが、それにはどんな意味があるのでしょう?
そんな自己満足に意味なんてあるかよという意見もあるでしょうね。
私は、そういう姿勢が多くのすぐれたものを生み出してきたと信じていますし、今後もその価値は変わらないと思っています。
これまで日本人は、高い労働倫理をもって勤勉に仕事をこなすことでTOYOTAやSONYといったブランドを築き上げてきました。
では、工業生産を途上国に奪われちゃったらどうすりゃいいんでしょう。
途上国には真似できないハイレベルな物作りの道もあるでしょうし、ハードではなくソフトで頑張る道もあることでしょう。
いずれも未知の領域ですし、私なんぞに先が見えるものじゃありません。
しかし美しい所作、労働の美学を知っている日本人なら必ずやれると思っています。 そこには言い知れぬパワーが潜んでいると思うからです。
ただ労働するだけではない、そこで美しくあろうとする姿勢というのは、「生き方」 という名のソフトパワーとして必ず経済価値を生み出すと思うからです。
こういう時代ですから国際化も大事でしょう。 グローバルスタンダードとやらを理解し適応することも必須でしょう。
でも、日本人らしさっていうのは不変の価値を持つと思います。
私は国粋主義者じゃないし、我ながら日本人というものにウンザリすることも多いけど、祖先から受け継いだ美しい財産は、文字通り私たちの宝として生きると思うのです。
美しい所作、おおいにやろうじゃんと言いたいのですが、どうでしょ?
その前に家のなかパンツ一丁で歩き回る自分の所作なおせって?
考えときます。
9/28のトレード結果です。
EUR/USD
200SMA: 上昇
フェーズ: 上昇ツーソン
損 益: なし
GBP/USD
200SMA: 上昇
フェーズ: 上昇フェニックス
損 益: なし
なんだか日本人と比べてアメリカ人の所作がなんでも劣っているように響いてしまったかもしれませんが、それは違います。
アメリカ人がビューティフルなところはいっぱいありますが、ぱっと思いつくのは 笑顔 でしょうね。
見知らぬ人同士が笑顔を向けあうアメリカの習慣が私は好きです。
エレベーターに乗り合わせた人たちが、ドアですれちがう人たちが、 「ハロー」 とか 「サンキュー」 とか声をかけながらニコっとすることが多い。
互いに無言のシチュエーションでも、笑顔だけはちらりと見せてくれる人が多い。
これは白人も黒人もないアメリカの文化。
なんて美しい所作だろうと思います。
でもアジア人は表情が硬いなあ。
なかには微笑む人もいるけど、むすっとしている人が多数派。
それどころか睨みつけてくるオバサンとかけっこう多い。 このシチュエーションでそれは何故?!みたいな睨まれ方されます。
アメリカにはアメリカの美しい所作があるんだから、自分は染まってみよう。
そう思いながら暮らしています。
それどころか睨みつけてくるオバサンとかけっこう多い。 このシチュエーションでそれは何故?!みたいな睨まれ方されます。
アメリカにはアメリカの美しい所作があるんだから、自分は染まってみよう。
そう思いながら暮らしています。
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