このことについて、我が家へ泊りに来たイスラム教徒の女性がおもしろいことを言っていたのでご紹介します。
彼女は日本人ではありませんが、日本で育ち、社会人をしています。
彼女いわく、日本人がそういうのを妬むのだとすれば、それは現世の人生だけしか考えていないからではないか。
むむっ なかなか厳しいお言葉?
現世の人生うんぬんとはつまり、イスラム教徒は来世を信じており、来世での幸せは現世での善行の数によって決まると信じていることとの比較です。
たしかにイスラム社会では、持てる者が持たざる者に恵みを与える喜捨 (文字通り喜んで渡すこと) は今でも盛んに行われています。
お祭りの月にお金持ちがヒツジ一頭を料理して貧しい人にふるまう習慣はその一例。
面白いことに、もらう側はお礼を言いません。 与える側に善行のチャンスをあげているわけで、むしろ善いことをしてあげているのはこっちだという意識があるからです。
で、そのようなイスラム教徒の目から見ると、日本人は来世を信じていないので、
一回こっきりの人生でしっかり幸せをつかまないと次はない
と焦っているようなところがあり、そのせいで他人の幸福を思いやる余裕を持ちにくいのでは、という観察だったのです。
平たく言えばガツガツしている、そのぶん他人を妬む、ということですね。
なーるほど、と思いました。 そう言われればそうかもしれない。
逆に、信じるということの強さについても考えさせられちまうなあ。
ところでアメリカ人のほとんどはキリスト教徒だが・・・
そう、キリスト教はイスラム教の兄弟のようなものですし、来世とか善行とかいう概念についてもほとんど同じといっていいと思います。
なので、前回投稿では「アメリカ人の人のよさ」という書き方をしましたが、その心根が宗教心に裏打ちされていることは間違いないと思います。
なにしろアメリカというのは、今でも日曜日に教会へ通うのが普通のまともな市民と考えられている、きわめて宗教的な社会ですから。
整理すると、
来世を信じている人たちにとって、現世で自分より幸せになっている人たちのことはさほど羨ましくない。
来世で幸せになるためには、現世で善行をつむことが大切。
「彼ら」はこんなふうに思っているんじゃないでしょうか。
ははあ、打算で善行しているのね?
という解釈もあるかもしれませんが、仮にそうであったとしても善行しないよりはマシといったとこかな。
よくわからないけど。
今回のことで私がひとつ感じたのは、
宗教心が希薄な私たち日本人ってのは世界のなかでもマレな存在であり、そのぶん考えかた生きかたが世界の主流とズレているかもしれない、
そのことを改めてよく自覚しておいたほうがいいんじゃないか、ということです。
乱暴ないいかたかもしれませんが、オレたちって軽薄かもしれない、という疑いを持っておきたいということ。
もちろんどっちが正しいとかいう問題ではないです。 でも違いは違い。 その違いによっていろんなことが起きますから。
いやー、ハッとさせられましたわ。 イスラム教徒のひとことに。
外はくそ暑いというのに、妙に思慮深くなる週アタマでありました。
7/18のトレード結果です。
EUR/USD
200SMA: 下降
フェーズ: 下降フェニックス (買いNG)
損 益: なし
GBP/USD
200SMA: 下降
フェーズ: 下降ユマ (売りNG)
損 益: なし
「俺たち軽薄」問題ですが、私自身は普段、世界の人々にいろんなかたちでのしかかっている宗教の重圧、あるいは異宗教間の摩擦を横目で見ながら、わが文化の軽薄さをありがたく思っているクチです。
また、私たちの精神的な身軽さが日本の経済的発展の原動力になってきたことも事実だと思います。
でも、さまざまな理由により経済的成功=幸せという図式を日本人が追い求めにくい時代になりつつある今、この軽薄さというのが今後の私たちにとっての弱点になるような気もしています。
かといって精神風土をガラリと変える方法なんぞあるわけもなく。
ましてや私自身が突然にして生き方を変えられるはずもなく・・・
だけど、ひとりひとりが自分の方法で何かを探す時代が来ているんでしょうね。
その意味で私は、長年勤めた会社を辞めたことはよかったと思っています。
会社にいたらそういうことを考える機会がなく(たとえ気付いていたとしても)どんどん時間がすぎていくばかりのような気がします。 それでも生きていけるので。
皆さんがFXをやっている理由は、こうしたこととなにか関係ありますか?
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なるほどと思いました。
返信削除イスラム教の人におごってもらったとき、ありがとうといったら、言わなくて良いと言われました。
納得しました。
匿名さん、こんにちは。
返信削除おごってもらったうえ、もしかしたら相手から感謝されていたのかもしれませんね。イスラム教は最初のころから互助の考え方が強く、預言者ムハンマドは戦争や病気などで夫を失った未亡人を地域の人々が共同で養ったり嫁にもらったりするよう教えており、ムスリムの一夫多妻の風習はそのあたりから来ているのかもしれないと思っています。
私たちは一夫多妻といった「結果」の部分にだけ注目して自分たちと比べ、あの文化は変だ、あの宗教はおかしいといった見方をすることがありますが、世の中そんな単純なもんじゃないということなんでしょうね。