先日の家一軒どんとプレゼント番組のお話、その続きです。
家を建ててもらうという幸運にめぐまれた人のことを、アメリカ人はたいして妬むことなくわりと素直に祝福している(ようだ)という話。
あいつばっかりいい思いしやがって、俺っちだって家が欲しいよという感情が日本人と比べると少ないのではないかということです。
私の推測も入っていますが、アメリカ人のかみさん(日本暮らし長かった)の見解を反映しているので、まあ外れていないだろうと思っています。
で、この番組でプレゼントされるのは家だけではありません。
たとえば大家族が移動するための大型バンが自動車会社から、障害者のリハビリ用機材がドラッグストア・チェーンからといったふうに、必要に応じていろんなものが提供されます。
そして、子だくさんの家庭にたいして行われることがあるのが、地元カレッジの学費免除というプレゼント。
学費が仮に年間100万円として、4年で400万円かかりますから、これが無料になるというのはたいそうな恵みですよね。
今回見たときも、全身麻痺のために収入が激減した一家の4人きょうだい全員が将来その大学に入ったときの学費が免除になりました。
価値あるプレゼントに涙ぐむ両親 (まあ全員がその大学へ行けばの話ですが)。
ええ話やなあとしばし感動してからふと思いついたのは、日本だったらどうだろうということでした。
・・・日本だったらできないかもしれないですね。
だって、それをやっちゃうと、うちだってお金に困っているのになんで学費免除してくれないんだ、なんであいつらばっかりなんだというクレームが大学にたくさん来るような気がするんですけど、どうでしょう?
あるいは今の時代だったらネット上でネチネチ書かれるとか。
なので大学の人たちはそういうのを見越して「公平性の観点からして難しい」てな態度になり、プレゼントは実現しないんじゃないかと・・・
私の勝手な想像と解釈ですが、こういうのはつまり、恵みが与えられなかった人の妬みが苦情となって噴き出し、そこに「公平じゃないのはけしからん」という理屈がくっつくことで、もっともらしく逆らいにくい意見となって全体を支配する。
こんな感じじゃないでしょうか。
最近では、東北大震災で寄せられた義援金のうち、今までにわずか20%あまりしか被災者に渡されていないというニュースがありました。
いろんな理由があると思いますから、安易に批判できる問題ではないと思います。
でも私が思うに、義援金配分の責任者たちが「公平性」の呪縛に強くしばられていることが一因ではないのかと。
まあ多くの方々が同じように考えておいでのことと思いますが。
お金の配分について被災者から、あるいは被災者の側に立つと称する人たちから「不公平だ」と難詰されることはいかにもありそうなこと。
そういうクレームに対して十分な説明ができる状態にしてからでなきゃおっかなくて配分なんてできないと、そんな感じ。
私ら気楽な庶民の考えかもしれませんが、うなるほどお金はあるんだから、とりあえず全体の半分ぐらいまではバーッとばらまいておき、そこから先は公平性を考えながら配分とかそんなふうにやればいいのに。
そうすれば被災者はどれだけ助かることか。
「公平な配分」によってもらえるかもしれない1000万円を待つより、500万円でいいから今すぐに欲しい。
被災し追い詰められた人たちの本音というのはそのあたりにあると想像するのですが、どうでしょうか。
アメリカ人の発想は、「助けられる人から助けよう」というふうに、手がつくところからどんどん始める。 そして助けられた人の姿を見てみんなで素直に喜ぶ。
ひるがえって私たち日本人はどうでしょう。
四捨五入して言えば「助けられない人がいるのはよくない。公平さが最優先」という感じでしょうか。
何故そうなるんでしょうか?
どっちが優れているという問題ではないと思います。
でも、いろいろ考えさせられています。
家を建ててもらうという幸運にめぐまれた人のことを、アメリカ人はたいして妬むことなくわりと素直に祝福している(ようだ)という話。
あいつばっかりいい思いしやがって、俺っちだって家が欲しいよという感情が日本人と比べると少ないのではないかということです。
私の推測も入っていますが、アメリカ人のかみさん(日本暮らし長かった)の見解を反映しているので、まあ外れていないだろうと思っています。
で、この番組でプレゼントされるのは家だけではありません。
たとえば大家族が移動するための大型バンが自動車会社から、障害者のリハビリ用機材がドラッグストア・チェーンからといったふうに、必要に応じていろんなものが提供されます。
そして、子だくさんの家庭にたいして行われることがあるのが、地元カレッジの学費免除というプレゼント。
学費が仮に年間100万円として、4年で400万円かかりますから、これが無料になるというのはたいそうな恵みですよね。
元気だったころのお父さんと |
価値あるプレゼントに涙ぐむ両親 (まあ全員がその大学へ行けばの話ですが)。
ええ話やなあとしばし感動してからふと思いついたのは、日本だったらどうだろうということでした。
・・・日本だったらできないかもしれないですね。
だって、それをやっちゃうと、うちだってお金に困っているのになんで学費免除してくれないんだ、なんであいつらばっかりなんだというクレームが大学にたくさん来るような気がするんですけど、どうでしょう?
あるいは今の時代だったらネット上でネチネチ書かれるとか。
なので大学の人たちはそういうのを見越して「公平性の観点からして難しい」てな態度になり、プレゼントは実現しないんじゃないかと・・・
私の勝手な想像と解釈ですが、こういうのはつまり、恵みが与えられなかった人の妬みが苦情となって噴き出し、そこに「公平じゃないのはけしからん」という理屈がくっつくことで、もっともらしく逆らいにくい意見となって全体を支配する。
こんな感じじゃないでしょうか。
なんだか似たような現象をたくさん見たことがあるような気がします。
最近では、東北大震災で寄せられた義援金のうち、今までにわずか20%あまりしか被災者に渡されていないというニュースがありました。
いろんな理由があると思いますから、安易に批判できる問題ではないと思います。
でも私が思うに、義援金配分の責任者たちが「公平性」の呪縛に強くしばられていることが一因ではないのかと。
まあ多くの方々が同じように考えておいでのことと思いますが。
お金の配分について被災者から、あるいは被災者の側に立つと称する人たちから「不公平だ」と難詰されることはいかにもありそうなこと。
そういうクレームに対して十分な説明ができる状態にしてからでなきゃおっかなくて配分なんてできないと、そんな感じ。
私ら気楽な庶民の考えかもしれませんが、うなるほどお金はあるんだから、とりあえず全体の半分ぐらいまではバーッとばらまいておき、そこから先は公平性を考えながら配分とかそんなふうにやればいいのに。
そうすれば被災者はどれだけ助かることか。
「公平な配分」によってもらえるかもしれない1000万円を待つより、500万円でいいから今すぐに欲しい。
被災し追い詰められた人たちの本音というのはそのあたりにあると想像するのですが、どうでしょうか。
アメリカ人の発想は、「助けられる人から助けよう」というふうに、手がつくところからどんどん始める。 そして助けられた人の姿を見てみんなで素直に喜ぶ。
ひるがえって私たち日本人はどうでしょう。
四捨五入して言えば「助けられない人がいるのはよくない。公平さが最優先」という感じでしょうか。
何故そうなるんでしょうか?
どっちが優れているという問題ではないと思います。
でも、いろいろ考えさせられています。
7/12のトレード結果です。
EUR/USD
200SMA: 下降
フェーズ: 下降フェニックス (買いNG)
損 益: なし
GBP/USD
200SMA: 下降
フェーズ: 下降フェニックス
損 益: 40pip
実にきれいなブレークアウト、そしてターゲットの日足ピボットにどんぴしゃで当たりました。
いつもこんなんだったらNYボックスなんて楽勝で、笑ってしまいますよね。
実にきれいなブレークアウト、そしてターゲットの日足ピボットにどんぴしゃで当たりました。
いつもこんなんだったらNYボックスなんて楽勝で、笑ってしまいますよね。
ドルもユーロも足場が弱く、円高傾向が終わりませんねー。
東京の知り合いがこの秋からロンドン暮らしを始めるのですが、学生のため仕事はせず持ち込んだ円で生活するはずですので、今のポンド安が続けばかなり助かることになります。
皆さん、円高で得する方法、いろいろ考えましょう!
東京の知り合いがこの秋からロンドン暮らしを始めるのですが、学生のため仕事はせず持ち込んだ円で生活するはずですので、今のポンド安が続けばかなり助かることになります。
皆さん、円高で得する方法、いろいろ考えましょう!
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