東北の農業は、そもそもムリなことをやらされてきた。
というのが私の持論で、きのうの話に続いています。
いやこれは東北出身でも農家出身でもない部外者が考えていること。 そうお断りしておきます。
(日本には 「よそものが何を言うか」 と発言を無条件で攻撃する習慣があるので、ちょっと怖いですね)
で、東北にとって何がムリなのかというと、それはコメづくりです。
南方性の植物であるイネを育てる生産が確立したのは、メコン川流域から中国南部あたりといわれています。
それが日本に伝わったとき最初にコメづくりが行われたのが九州。 それが西日本一帯へと広がりました。
弥生時代のはじまりです。
しかし、南方由来のコメづくりの適地は、本来はそのあたりまでだった。
気温が低い、水が冷たい地域でイネを育てることは難しく、わりと容易にコメ作りができるのは、せいぜい中部地方の暖地あたりまでだった。
そこから東は、山野と海で採集生活をするいわゆる縄文時代の暮らしが続いていた。
従来、ある地域の縄文的な生産力で養える人口が100だったとすれば、コメの普及によって300人でも400人でも養えるようになった。
コメは魔法のような力で社会を育てた。
社会が大きく豊かになれば、それを支配する有力者が出てきます。 土地の親分ですね。
次いで、親分どうしの勢力争いに勝って広域を支配する大親分がでてくる。
大親分どうしの勢力争いのすえ、最初に日本を統一したのが大和朝廷。
統一といったって、弥生的な統率のとれた社会を構成しているのは西日本だけであり、東日本は以前のままの縄文世界が続いていた。
仮に当時の縄文人に 「西日本は統一されたよ」 と伝えても、そもそも統一とか国とかいう概念が通じなくてポカーンとされたことでしょう。
ところが国家という装置は自発的に膨張する性格があるんでしょうね、大和朝廷は全日本の統一事業にのりだした。
東の方は縄文世界やってるから放っておこう、というふうにはならなかったんですね。
あいつらもしっかり国家に組み入れて 税金 をとろう、というのが全国統一の理由。
初期の大和朝廷は、まだまだ西日本各地に対抗勢力を抱えていたから、中央政府としてもっともっと力を蓄える必要があった。
ところが税金といったって、通貨はまだ流通していない。
お金のかわりに集めていたのが、魔法の力をもつコメだった。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)という人がいますよね。
古事記や日本書紀に登場し、大和朝廷の統一事業の先兵として活躍した勇敢な戦士。
彼の最後の仕事は東征、つまり東日本の 「蛮族を征伐」 することで、東北まで足を伸ばしたと言われています。
東北といったって福島県北部あたりまででしたが。
彼がやった征伐とは、具体的には何をしていたのか。
力にまかせて蛮族どもをぶっ殺したのか?
いやいやそんなことしてたら人口が減って税金がとれなくなってしまいます。
土地々々のちょっとした親分が抵抗すれば武力で制圧したでしょうが、基本は人々を大和朝廷の民、つまり納税者にすることが目的。
日本武尊とその後に続いた政府の役人は、コメ作りを広めていたに違いない。
採集生活はもうやめなさい、定住して田んぼを開きなさい、イネはこうして育てなさい。
彼らはこうして縄文人を弥生人、いや大和国家の国民に変えた。
作ったコメの何割かを年貢として徴収した。
これが、日本という国家がコメを血液として成立 するにいたった起源といえるでしょう。
経済用語的にいえば 「コメ本位制」 とでもいえる経済が成立し、そこに東北は組み込まれた。
日本国民であるかぎり、コメを作り続けることを強いられることになった。
ところがそれは寒冷な東北にあってすごく困難だったというのは、皆さんご存知のとおり。
冷害、不作、大飢饉の三点セットの苦難は、東北の歴史そのものだったといえるほど。
東北がムリなことをやらされてきたと私がいうのは、そういうことです。
歴史のイフを語ります。
もしも日本国家がコメ本位制によるものでなかったら、東北はどうなっていたか?
いつまでも縄文世界は続かず、いずれにせよ農耕型の社会に転換した。
コメは作るようになったことでしょう。
なんといっても魔法のパワーを持っていますから、これが広まらないはずはない。
でも、冷害不作という制限があるから、コメには限定的に頼ることとして、ほかの作物を積極的に作ったでしょう。
ムギは三世紀には朝鮮半島から伝わったと言われており、コメと比べて寒冷地向きですから、東北に広がった可能性は高い。
じゃあなんで実際にそうしなかったって?
年貢がコメである以上、耕作可能な土地をあげてコメを作ることが求められたからだと思います。
めいっぱいコメを作り、不作のときにはめいっぱい困るという合理性を欠いた暮らしを、東北の人たちは強いられてきたわけです。
だいたいにおいて、人間はコメなんか作らなくったって生きていけます。
ヨーロッパの寒冷地、中央アジアの乾燥地など、コメとは無縁の土地で人類は豊かな暮らしを築いてきた。
寒冷地作物あり、牧畜あり、ありとあらゆる手段で食べてきた。
東北の人たちがフリーハンドで自分たちの生き方を模索し、東北に適した生産手段を作りあげたら、きっと独自の豊かな暮らしを作り上げたと思うんです。
もちろん今は不作で飢饉という時代じゃないから、農家が何を育てようが生き死にの問題にはならない。
べつにコメでもかまわない。
問題はそういうことではなくて、震災で打撃をうけた東北の将来を考えたとき、これを機にこれまでより ずっと豊かな地域 にすることを考えたほうがいいんじゃないかという話です。
復興も大事だが、新しいことをやる滅多にないチャンスだから。
なにしろ政府は今後、千億、兆単位のお金を東北に注ぎ込もうとしているのですから、あとはそれを何に使うかです。
お金だけでじゃない。
規制をとっぱらった特区を設けて新しい試みの後押しをするなど、政府だからできる支援を引きだす手もある。
まあ実際問題として何をやればいいのか、無責任な私にはそこまではわかりません。
酪農で豊かに暮らしているデンマーク型農業がいいんじゃないかなんて言っても、山がちの日本でそれは無理だろとか自分でも思うし、とにかく難しいテーマだから。
それに農業を変えましょうなんつたって、高齢化した業界だから新規挑戦は難しい。
「コメ農家コメ農家」 というけれど大半は兼業だから、業態転換なんていうエネルギーが必要でリスクのあるチャレンジには向いていない。
(そのリスクを軽減するために国が手を尽くすとしてもね)
なにより日本人は 大胆な変革 というものが苦手で、事態がどん詰まりまで悪化しないとスイッチが入らないというか、入れざるをえなくなるまで動けない民族。
大陸民族は、長い歴史のなかで例外なく流浪に流浪を重ね、そのたび財産も生産手段もまるごと捨てて新境地を開くことを強いられるうち、過去をすっぱり捨てる逞しさを身につけていった。
それに比べてわが民族というのは、幸いなことに異民族に根こそぎぶっ飛ばされた経験がなく、2000年来の土地と生産手段への深い愛着を育ててきた。
あまりにも深くまで根っこを張った、植物的な民族になったんですね。
そのせいで、「すっぱり過去を捨てて新境地開拓」 的な変化が苦手。
そういう気質が東北において濃いか薄いかは知りませんが、いずれにしても大変革は難しいという話でした。
なにを言いたいのかわからない部分もありますが、TPPだ、コメ農家だ、東北だというキーワードに触れたとき、私のアタマに浮かんだことです。
日本を離れていると、こういうことをよく考えるようになるものです。
当たってるかどうかは別としてね。
長文ご無礼でござった。
10/28のトレード結果です。
EUR/USD
200SMA: 上昇
フェーズ: 上昇フェニックス
損 益: なし
GBP/USD
200SMA: 上昇
フェーズ: 上昇フェニックス
金曜の夜もふけて、まもなく土曜。
あいかわらず土曜は雪の予報。
予想気温は24時間前の予報より下がって最高6℃、最低0℃。
真冬なみの寒さですが、雪のほうは水分の多い重い雪になるとか。
さらに予想されるのが強い風。 つまり嵐ですね。
これで一番心配されているのが停電です。 重い雪と嵐で送電設備が破損するおそれが強いから。
先進国のくせに停電が多いというか、停電が多いのは先進国じゃないというか、アメリカの電力事情にはとにかく厳しいものがあります。
電気だけじゃなくてケーブル会社のネットも一緒に死ぬことが多いので、その不便さたるや半端でない。
もう止まるのはしょうがないと諦めていますが、復旧に3日かかるとかいうのだけはやめてくれえ!
祈るしかないトホホな週末が来ようとしています。
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